大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所 昭和59年(う)165号 判決 1985年3月18日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人高村是懿作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官山路隆作成の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

第一控訴趣意第一、第二(事実誤認、法令適用の誤りの主張)について

一論旨は、要するに、「被告人は、本件殺人未遂の犯行当時、覚せい剤中毒による幻覚、妄想に支配されて心神喪失の状態にあつた。それなのに、被告人が当時心神耗弱の状態にあつたと判断した原判決は事実を誤認し、かつ、法令の適用を誤つたものであつて、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。」というのである。

二しかし、記録を精査して検討するに、原判決が、その「本件犯行時における被告人の責任能力について」の項(以下「責任能力について」と略称)の中で証拠を引用して被告人の覚せい剤使用の経過、犯行前後の被告人の精神状態などについて認定しているところは優に肯認することができ、当審における事実取調べの結果によつても、これを左右するに足りない。そして、右に認定したところに基づき、被告人は本件犯行当時覚せい剤中毒による幻覚、妄想の影響により心神耗弱の状態にあつたとした原判決の判断にも誤りがない。すなわち、右の証拠によれば、原判決が「責任能力について」の中などで詳細に説示しているように、被告人は、昭和五二年初めころから覚せい剤を反復使用するようになり、同五三年四月には覚せい剤中毒による幻覚妄想状態に陥り約二週間入院治療を受けたが、同年六月二七、二八日の両日四回にわたり覚せい剤を使用したため知人の望月健一から増田貞雄を殺害するよう命ぜられ、これに従わないと自分はおろか家族まで何をされるかわからないとの幻覚、妄想を生じ、同月三〇日増田のもとに赴き、包丁で同人の胸部、腹部などを突き刺すなどしたという本件殺人未遂の犯行に及んだものであつて、右の幻覚、妄想が本件犯行の動機になつていることが明らかであるが、

(一)  被告人の幻覚、妄想は一時的なものに過ぎないこと、

(二)  被告人は、幻覚妄想状態の中で、本件犯行の前夜、望月から増田殺害を命じられたと思つた際、当初「片腕をもぐ」「金で解決する」旨の返事をして右命令に従うことを逡巡したばかりか、「殺せば一〇年くらい刑務所に入ることになるから」と言つて一旦増田殺害を断つたと思うという反応を示し、本件犯行後においても馬鹿なことをしたと思い自首を考えていることなどに徴すると、被告人は幻覚妄想状態の中にあつても、なお規範意識を完全に失つていたわけではないと考えられること、

(三)  本件犯行直前、包丁を買い求めてから犯行に及ぶまでの被告人の行動は、整然としていて、通常人と特に変つた様子はなく、被害者を包丁で刺すなどした後、同人から「助けてくれ」と懇願され、同人を哀れに思うとともに、このままでも同人は死ぬだろうと考えて、とどめを刺さずに帰宅し、事件のことを妻に話し警察に出頭する準備をしていて、犯行前後の行動に関する被告人の記憶は詳細かつ鮮明であることなどに徴すると、本件犯行当時、被告人の意識は清明であつて意識障害がなく、疎通性を保持しているとともに、その行動は統御されていて、犯行に対する抑止力も、まつたく失われていたというわけではないと考えられること、

(四)  被告人は、暴力団に加入していたことがあつて、多数の暴力事犯の犯歴があり、衝動的、易刺激的、独善的などの性格傾向がみられ、暴発的行動に出やすい面もあることに徴すると、被告人が本件犯行に及んだのには、右の性格上の欠陥やこれに基づく行動傾向が影響していると考えられること、

が認められ、これによれば、被告人は本件犯行当時、覚せい剤中毒による妄想、幻覚によつて意思、判断及び行動を完全に支配されているとは認められず、是非善悪を弁別する能力はもとより、これに従つて行動する能力も欠くまでには至つていなかつたと認められる。

三これに対し所論は、「原判決は、覚せい剤中毒による精神障害について、『妄想等の病的体験が全人格を支配せず、疎通性を保持し、……意思、判断及び行動の自由も残されていることが少なくないとされる』と判示している。しかし、疎通性の保持と意思判断及び行動の自由が残されているかどうかは別個であつて、原判決は、疎通性の保たれている部分には妄想が及ぶことなく、意思、判断及び行動の自由があると判断する誤りをおかしている。」という。

しかし、原判決が疎通性が保持されているということのみを根拠として意思、判断及び行動の自由があると判断しているわけでないことは判文上明白であつて、覚せい剤中毒による幻覚、妄想がある場合に右の自由が残されているかどうかを判断するについて疎通性の有無が重要な資料の一つとなることは明らかであるから、原判決の右の判断には誤りがない。右の所論は採ることを得ない。

四次に所論は、「原判決は、『責任能力の有無、程度を決するにあたつては、さらに犯行当時覚せい剤中毒による妄想等の病的体験が行為者の人格までをも支配するに至つていたか否かについて判断を要する』と判示しているが、右は誤りである。」という。

しかしながら、精神分裂病の場合には病的体験が人格の核心を支配し、病前の性格をすつかりのみ込んでしまうことが多いのに対し、覚せい剤中毒の場合、従前からの人格の変化はあまりみられず、妄想、幻覚によつて危機的状況に陥つたと誤信した場合、右の動機によつてどんな行動をするかについては、病前からのパーソナリティが重要な役割を果たすことが多いと一般に考えられている。してみると、覚せい剤中毒による幻覚、妄想によつて行為者の人格が支配されるに至つていない場合、行為者になお犯行に対する抑止力が残つていると認められる余地があるから、右の人格支配の有無を重視した原判決の右の判断には誤りがない。右の所論も採ることを得ない。

五また、所論は、「原判決は、被告人が包丁を買い求めた際の刃物店の店員に対する対応やパチンコ店での行動が整然としていることを根拠として犯行当時の被告人の意識障害の程度を判断しているが、右のような被告人の行動から被告人が当時意思、判断及び行動の自由を有していたか否かを判断することはできない。」という。

しかし、被告人の右の行動が意識障害の有無を判断する資料になり得ることは、もとより当然であり、また、小椋力(鑑定人)の原審証言によれば、覚せい剤中毒の場合においても意識障害の有無は犯行に対する抑止力の存否を判断するうえに重要な意味を有することが認められるから、被告人の右の行動を根拠の一つとして被告人には当時意識障害がなかつたと認定し、このことと他の諸事情とを総合して被告人には当時心神喪失の状態になかつたとした原判決の判断に誤りはない。右の所論も採ることを得ない。

六また、所論は、「被告人は、当時覚せい剤中毒のための家庭が破壊されるとの妄想に完全に支配されていて、増田殺害の犯行に対する抑止力は存在しなかつた。」という。

関係証拠によれば、被告人は覚せい剤を使用したため急性中毒の状態となり、知人の望月から増田を殺すように厳しく命令されたとの幻覚、妄想を抱いていたところに、犯行当日、望月の仲間の徳岡敬三から「下さんがゆうべつまらん事を言うから、姉さんを極道に抱かせた」と言われたとの幻覚、妄想を生じ、前夜自分が望月の命令に対して明確な答えをしなかつたために望月が自分の妻を暴力団員に強姦させたものと思い込み、「自分が望月の命令に従わない限り、妻は何回も強姦され、娘にも手を出すかも知れない。家族が犠牲になる前に自分一人がこいつらの犠牲にならなきやいけん。」と考え、直ちに本件殺人未遂の犯行に及んでいることが認められる。してみると、望月から増田殺害を命ぜられ、右の命令に従わないと家族まで何をされるかわからないという幻覚、妄想が本件犯行の動機となつていることが明らかであるが、しかし、被告人が幻覚、妄想のため右のような危機的な状況に自己がおかれたと思い込んでいたとはいえ、右の状況のもとで被告人が選ぶべき手段が本件のような増田に対する殺害行為しかないとは考えられないのであつて、警察官の救いを求めるなど合法的な手段方法をとることが考えられるのである(鑑定人である小椋力は、その原審証言の中で「もし、自分が被告人と同様な幻覚、妄想を抱いたとしたら、殺人行為まで至らず、別な方法で自分の悩みを解決していたと思う。」旨供述している。)。前に説示したように、精神分裂病の場合、病的体験が人格の核心をおかす結果、右のような合法的な手段、方法を選択、工夫することが期待できない場合が多いのに対し、覚せい剤中毒の場合は病的体験によつて人格が支配されないで、右のような幻覚、妄想のもとでも合法的な手段、方法を選択、工夫して犯行を抑止することが可能な場合が多いと考えられるところ、所論の指摘するような犯行当時の被告人の激しい行動を考慮しても、原審における鑑定の結果その他の証拠を総合して前に説示したような事実を認定し、被告人には当時犯行に対する抑止力が残つていたとした原判決の判断に誤りはない。そして、右のような抑止力が存在していたのに被告人が本件犯行に至つたのは、前にみたような暴力的な行動に走りやすい経歴、性格傾向更には小椋力作成の鑑定書によれば、被告人は犯行後四年半経過した後においても、「被害者に対しての償いは」との問いに対し、「被害者の経営する店がある町内へ行かないようにしている。」旨を答え、「世間を騒がせたことをどう思うか」との問いに対し、「子供が三年間ものを言つてくれなかつた。家族に対して償いをしたい。世間に対してはそれからだ」と答えていることが認められるように、被告人は家庭を大事にする気持ちが強い反面、倫理観念に乏しく、被害者や社会に対する配慮に欠ける考え方の持主であることの影響が大きいと認められる。右の所論も採ることを得ない。

七また所論は、「被告人は本件犯行直前に覚せい剤を四回続けて使用しているが、原判決は通常の四倍の使用量がどんなに強烈な急性中毒症状をもたらしたかを全く考慮していない。」という。

しかし、覚せい剤中毒による幻覚、妄想などの症状は、覚せい剤使用の回数が量によつてのみ決まるものでないことはもとより当然であつて、原審における鑑定は、いずれも被告人について現実に生じた右の症状について、その精神状態を判断しているのであつて、右の鑑定の結果その他の証拠を総合して被告人に責任能力を認めた原判決の判断に誤りはない。右の所論も採ることを得ない。

八更に所論、「原判決は、被告人が望月に対し増田殺害を一旦断つたと供述していることをもつて被告人の規範意識のあらわれであるとしているが、右の発言は架空のものであるから、右の判断は誤つている。また、被告人が犯行後、とどめをさすことなく、自首しようとしたことは、犯行後の事情であるうえ、犯行に伴う衝撃から、それまでの妄想支配による殺意が中断されることも考えられるから、これをもつて原判決のいうように被告人の責任能力判断の根拠とすることはできない。」という。

被告人が増田殺害を断つたということは、幻覚妄想状態の中での架空の発言であることは所論のとおりであるけれども、幻覚妄想状態の中で右のような発言をしたと思い込んでいることが、右の状態の中でも規範意識が残存しているとみる根拠になる余地があるから、原判決のこの点についての判断をもつて誤つているとはいえない。また、被告人の前記のような犯行後の行動も、犯行直後のものであるうえ、所論のように犯行に伴う衝撃によつて前記の幻覚、妄想が消滅したとする根拠はないから、この点についての原判決の判断にも誤りはない。右の所論も採ることを得ない。

九以上説示したとおりであつて、被告人が当時心神喪失の状態にあつたとする弁護人の主張を排斥した原判決の判断は正当であつて、原判決には所論の事実誤認、法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

第二控訴趣意第三(量刑不当の主張)について<省略>

第三結論

よつて、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(干場義秋 竹重誠夫 横山武男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例